娘の袖まくりと、親の残像【十勝で子育て】

春に父親になり、既に娘は産まれて6ヶ月を迎えようとしている。数ヶ月前から寒くなりはじめ、娘に着させる服は長袖となっていった。

友人知人に恵まれほとんどの衣服をおさがりで頂戴している。本当にありがたい。それでも幼児専門のお店に立ち寄ると、「この服着させたいね」と新しい服を買う。買うというか買ってしまうのだ。

赤ちゃんの成長は早い。早いと聞いていたがこの半年実感しまくっている。すぐに大きくなるからと、少し大きめのサイズを購入する。

「購入した服を着させたら可愛いだろうね」なんて会話を帰り道にも重ねて、一度洗濯を済ませた服を翌日にすぐに着させるのだ。

「かわいい。」

世界で一番かわいい。自分の娘はとにかくかわいい。親バカ上等。

少し大きめのサイズを購入したので当然、手足が袖で隠れてしまう。赤ちゃんは手足もおもちゃとして遊ぶ。大切なおもちゃが隠れてしまっては娘に「お父さん失格!」なんて心の中で叫ばれてしまうんではなかろうかと、勝手な想像を膨らませて、すぐに娘の手足に被った袖をまくる。たぶんもう袖をまくるのは100回200回になってるだろう。

袖をまくるときに、いつも思い出すことがある。

母親が僕の袖をまくってくれていたことだ。僕が思い出す記憶は、幼稚園から小学生低学年くらいのことだと思うが。

「かずくん、ちょっと待って」なんて言って母親がよく腕をまくってくれていたことを思い出す。

自分の娘の袖をまくるたびに、自分の母親も、息子の成長を見越して少し大きめのサイズを買い、息子のことを思って腕をまくってくれていたんだろうなと、想像してしまう。

当時は「お母さん早くして!」なんてことを言っていた気がするし「なんでまくらないいけないの」なんてことを思っていた記憶もある。

年月を超えて、無意識の中でつながっていく。そんな瞬間があることを自分の子供が生まれるまでは想像すらしていなかった。

shigenoza.com


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